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お久しぶりです(´・ω・`) [日常]

皆様、覚えてますか、元気です!
元気ですよ!ベコニアです!

最終更新がまだ、ガラケーの時だとは・・・半年以上放置していることになりますね。
もう、イラストは描いておりませぬ(´・ω・`)
つまり、このブログ懐かしいです。
以前のっけた絵とかありますからね。
いやはや恥ずかしい。
ま、消したらコメントとかも消えてしまうので記事は消しませんが。

そうそう、なんでこうやって舞い戻ってきたのかというと、固い話をするためです。
2年にあがってからのこの一年間、もうすぐ3年になるのですが、その間にいろいろとありました。
学校の理科系のプロジェクトに参加したり、修学旅行に行ったり・・・。
そこで、やっぱり思うところとか、あるんですよね。
だから、感じたこと、私の考えを書いていこうかなぁ、なんて思っています。
もし、今までの私のノリ(といってもそこまで面白さを追及、とかなんてやってませんが)を期待してくださっていたのなら、すいませんがガラっと変わります。

また、私の考え、意見、感想は私の中でのみの討論によってできています。
よって、偏っているところも多くあると思いますし、記憶違いをしてしまっている事もあるかもしれません。


長くなるかもしれないので、本題は追記にて


さて、本題に移ります。


私の地域の公立高校は、たいてい修学旅行で沖縄に行くのですが、そこでやはり戦争について学びます。
避けては通れないものですね。
沖縄といえば、綺麗な海、リゾート地といったイメージでしょうか。
私も何度か行った事はあるのですが、明るくて楽しい南国の地、そんなイメージを持っています。

ですが、それは本当にひと握りの、観光客用の場所のみのイメージでした。

沖縄について、まず見たのは「オスプレイ反対」の旗です。
今はもうすっかり、そういった運動の報道をマスコミはしておりませんので、私の中では完璧に終わってはいないものの、ひと段落はついたもの、と思っていました。
ですが、バスガイドさんの話を聞くとそういったわけではありません。
ほとんど何も進展していないようなものでした。

バスの中では話は聞かない、ゲームをしだす・・・・・・と大変浮かれ気分なクラスメイト達でした。
ですが、その中でもバスガイドさんは話を続けていきます。
沖縄で昔あった戦争について。
強制的に南北に別けられたその、どちらにいるかでその人の命運は大きく変わりました。
南に行けばいくほど激戦地となっており、また、人民たちも本部の首里城のある南へと下って行っておりました。
逃げても逃げても追いかけて来て撃ち、焼き払ってくる・・・・・・・とてつもない恐怖でしたでしょう。

一番最初に行ったのは沖縄県平和記念資料館でした。
平和の礎とは、

「沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。」(http://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/heiwadanjo/heiwa/7615.html

ことを趣旨として建設されたものです。
刻まれた年度、そして村や都道府県、そして国別に書かれておりました。
見て回りきれないほどの数の名前たち。
中には名前ではなく「○○の兄」や「○○の母」と言った書かれ方をされていた方もおりました。
この礎は波の形を催しており、デザインコンセプトは

「平 和 の 波  永 遠 な れ
EVERLASTING WAVES OF PEACE
~鉄の暴風の波濤が、平和の波のなって、わだつみに折り返して行く~」
http://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/heiwadanjo/heiwa/6516.html

だそうです。

約25万名の名前が刻まれているのだと聞いて、私はあまりもの数の多さに想像もすることが出来ませんでした。
生き残ったとしても、心にはこれだけの人が殺された姿を見ているのですから、かなり大きな傷が両国に残っているでしょう。
戦争とは無縁の今の日本に産まれてきた私たちはただただその恐ろしさをぼんやりと受け止めていました。
ここに来るまでにバスの車内から見た、一家全滅の跡、そして沖縄特有の形をしたお墓たち。
それが、ここにきてやっとリアリティーを持ったのです。
それまでは、受け身で聞くだけだったのですが、しっかりと目で見て「きちんと学ばなくては・・・」という気持ちになりました。
なのに、カメラで写真を撮らなかったところ、まだ受け止めきれていなかったのかなぁと思いました。
文章だけでは伝わらない事もあるというのに。

クラスメイトが、沖縄平和記念資料館から見える崖で、多くの人が戦時中自殺したのだと聞いて「心霊がなんちゃら」と撮っていた写真を消している姿を見たときは、やや憤りを感じましたが、写真を撮っていなかった私も心の中では、それが怖かったのでしょう。

資料館の中では、本当に・・・なんというか・・・・泣きそうでした。
リアリティーあふれる写真(実際に起こったことを紙に映しているのだから当たり前ですよね)、そして経験談。
知りたくない、逃げたい、そういう気持ちが胸の中に溢れる中、ゆっくりと友人と共に時間をかけて回りました。
他の子たちにはそんなに長い間見ていたのか、と驚かれましたが、これでも時間が足りなかったほどです。
一つ一つの写真や展示物を見て、のみこむのには時間がかかりました。
また、私自身、暗くて狭い所が苦手で、足が進まず入る事の出来なかった、壕での体験・・・・・・(展示物の中にありました。爆発音がしたので、そういった類の体験なのだと思うのですが・・・)かた逃げてしまった事に今、大変後悔をしております。

その時、カメラマンさんに写真を撮ってもらったのですが、自然体ではなく「展示物を見ているような風景」として細かく立ち位置や視線を指示され、これはどういったものか・・・と疑問に思いました。


その後ひめゆり資料館、轟壕と行ったのですが、長くなりそうなので一旦区切ります。


また、この文章はちまちま修正されることが多いのではないか、と思われます。
つたない表現などがあることをお許しください。

それでは、ありがとうございました。

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七不思議

こんばんは。
明けましておめでとう御座います(*VωV*)
私も修学旅行は沖縄でした。
勿論〝ひめゆり〟や生き残った方々の体験談を学ぶのが主です。
大勢の方々が投身自殺したがけに立ってその高さを味わったりもしました。
文章じゃなくても伝え難いですよね。
私は個人的に予習をしてから沖縄へ旅立ったのですが、それでもショックでした。
壕の中で、私の腕時計が止まりました…本当の話です。
そして壕を出たら動き出しました。
心霊とは思いませんでしたが、もしそうならば周囲で笑っていた輩に見せつけたかったです。
体験談を聞いても絶句してしまいました。
数年前の話ですが今でも夢に見ます。
それでもきっと実際遭われた方々には及びもしないでしょう、恐怖感など。
祖父母の戦争体験談を聞くようにもなりました。
人を変えますよね、戦争は。
長々とすみませんでした。
今年もよろしくお願いします!
by 七不思議 (2013-01-04 21:20) 

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